takevinのブログ

何者にもなれない凡人の日々の成長の記録

自分の中の価値観や正義はどこから生まれたものだろう

先日、クラブワールドカップ決勝戦の試合をTVで観た。レアルマドリード vs 鹿島アントラーズの一戦。レアルマドリードといえば、世界一、二を争う最強のフットボールチーム。対する鹿島アントラーズは世界的に別にレベルが高いわけでもないJリーグの強豪チーム。日本のクラブチームがクラブワールドカップの決勝の舞台に立つのは史上初とのこと。絶好のカードだったので、普段サッカーを観ない僕も興味が唆られ、観戦したのだった。といっても応援していたのはレアルだった。当初の予想を裏切り、試合は接戦だった。一時、鹿島がリードし、レアルの選手の焦りが画面上からも分かり、クリロナクリスティアーノ・ロナウド)もイライラしているようだった。試合は延長戦に突入し、最終的にはなんとかレアルマドリードが勝った。
 
後日思い返して、ふとした疑問に思ったことがあった。なぜ日本のチームではなくレアルマドリードを僕は応援していたんだろう。まぁどうでもいいんだけど、何か心の中に引っかかった。トイレに篭り、少し考えてみる。普段僕は全くサッカーなんて観ない。でもなぜかレアルに勝ってほしかった。最強のチームが負ける姿を観たくなかったのかもしれない。ヒーローが敵キャラにボコボコにされるのなんて観たくないからね。でも、もっと根本的なところを考えてみよう。テレビの影響が大きいかもしれない。僕はレアルをテレビで何度も観ていた。世界から選び抜かれた精鋭が集うレアルマドリード。銀河系軍団。バルサと並ぶ最高のチーム。最高のプレーだけを切り取られたプレー集。熱狂的な観衆。知らないうちにスペインリーグ・リーガ・エスパニョーラJリーグの力関係が僕の頭の中に刷り込まれていたらしい。レアルマドリードは日本のチームになんか勝って当然。Jリーグはまだまだ未熟。どれだけ華麗に点を取り、力の差を見せつけてくれるのだろうと期待して観戦していた。しかし、蓋を空けてみれば力の差なんてそこまでなくて、鹿島にリードされ慌てるレアル。そこに自分が期待した試合展開はなかった。これまで自分の中の価値観として作り上げられてきた、海外リーグは日本のリーグとは格が違うといった幻想が崩れ去っていくみたいだった。その居心地の悪さを払拭してもらうために、僕はレアルを応援していたように思う。
 
何が言いたいかというと、僕たちはテレビやスマホなどから日々情報を得ているけれども、それらの情報が僕たちの価値観をいつのまにか形作っているのかもしれないってこと。それ自体は別に悪いことじゃないんだろうけど、何も考えずにそれらを受け入れるのはなんか腑に落ちない。さらにそれらの価値観で色々な物事を捉えてしまい、異なる価値観は受け入れたくないと感じるのであれば、それはとても気持ち悪いことだ。今、自分が常識と感じている価値観は果たしてどこから生まれたものだろう。自分の頭で考えて得たものなのか。情報過多の時代だからこそ、ここらへんのことをしっかり意識しておかないと自分の価値観は情報の波にさらわれてしまうかもしれない。